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2023年2月13日に徳川家康の生まれ変わる??

2023年1月23日

2023年2月13日の午前4時頃に生まれた男の子は、なんと徳川家康と同じ命式になります。
出産予定の方はちょっと気になりますよね。
ちなみにその前の同じ干支の人は1963年2月28日の午前4時頃のお生まれの男性も家康と同じ命式です。


さて言わずと知れた徳川家康。
天文11年12月26日生まれ。これをユリウス暦に修正すると1543年1月31日です。
ユリウス暦は1582年10月4日以前まで使われていましたが、それ以降はグレゴリオ暦となっています。
ユリウス暦をさらにグレゴリオ暦で変換すると1543年2月10日生まれ。これが徳川家康の現在の暦での生年月日です。計算サイトがあるので便利ですね。

徳川家康は父松平広忠、母於大の方との間に生まれます。

1543年2月10日寅の刻生まれ。

寅の年、寅の日、寅の刻に生まれると良い武将になると言われます。これは毘沙門天のお遣いが寅であることから言われがきているようです。
さて家康の生まれた日は、実際は寅ではなく卯の年の生まれと父は気づきますが、於大の方に数日早く生まれたことにすればいいと押し切られます。

命式は

従児格

家康は壬寅生まれ。
命式をみると比劫と食傷のみで出来た従児格です。食傷は月干にのみ表れていますが、地支全てに通根しています。一方で日干壬に根がないのですが、行運で水がくると一気に強くなります。偏りのある命式で、あるタイミングで環境が激変し形勢が一気に変わるタイプです。

壬寅生まれの家康は、勝負心が強く自由奔放な気質を持つ。水性がほどほどに強く知略に優れていて頭が良い。【成】の命式であり、世の中に知れ渡る人であること、出世運もわりと良い方です。
負けず嫌いで自ら動く人。情熱的で理想のためにとことん働きます。泣き事は嫌い、言うべきことは言い性格もはっきりしています。それだけに愚痴っぽい人は嫌い、なので人の好き嫌いははっきりしていたのではないか?と思います。家康にとことんファンになるか、嫌われるか?の評価は両極になりやすい。

大運をみてみましょう。

◎癸丑(1544~1553)
1547年 丁未 今川義元のところに人質に出される
1549年 己酉 父暗殺される

水性が強まる時期。水が強まると従児格が破格します。浮木となり自分の意思ではコントロールできない状況下になります。
父暗殺年は喜神の甲が取られ、年支卯も支冲で取られる。この時期の年運のめぐりも家庭環境、社会的環境が不利な方に動きやすい時期でした。

◎壬子(1554~1563)

人質の時代は、前大運より水性が強まり忌神運。時代が時代とはいえ、周囲と闘争を仕掛けられた理不尽なことで傷つけられるなど、争いの絶えない頃です。水性の強くなると考えなくても良いことまで考え、悩み多き時期でしょう。
一方で水の気の強まりは自立を促されることになります。桶狭間の戦いで今川義元が討たれる。これを契機に今川家から自立することになります。さらに織田信長と清洲同盟を組みます。

◎辛亥(1564~1573)
大運印綬ですが、辛と壬は相性が良く悪さをしません。亥は木性と水性を強めています。壬の水が辛の宝石を洗い上げていく様子。自身の働きでコツコツと知名度を上げていく期間。
名前を徳川に変えたのが1577年のようです。この年は丙戌です。壬丙で江暉相映で吉。この年に改名するのも運の強さ、そして財運が上がる。年支の卯と戌は支合で社会運の変動です。
三方ケ原の戦いでは目論見が外れ武田軍に敗れます、家康は命からがら浜松城まで逃げたとのことです。
この戦いの年をみると壬申。算命学でいうと納音でことごとく予想に反する動き。喜神の寅の根をとられているので不調期です。

◎庚戌(1574~1583)
大運庚は激しい時期。もともと庚=刀ですから穏やかな時期とは言いにくい。
戌は卯と再び支合で社会運の変動。1582年6月に本能寺の変が起こります。壬午年、丙午月での出来事です。
命式の寅-月運丙午-大運戌が重なり火性が強まります。壬と丙は相性が良い干関係。この本能寺の変により財運上昇のチャンスを得ます。一方で家康は従児格ですから財は忌神でもあります。平常時なら病気に注意と読めますし、戦国時代であれば指導力を発揮するも、それだけ命も危うい時期であったことでしょう。

◎己酉(1584~1593)
大運己は壬とは相性悪いとき。従児格にとって官殺は忌神運。織田信長の亡き後の天下取り争いを豊臣秀吉と繰り広げます。小牧・長久手の戦いで人質を出して停戦するも、秀吉が停戦を破り出兵、家康の腹心の裏切りがあり秀吉が天下統一。家康は三河地方を手放すことになり関東に拠点を移動。忌神官殺の地位低下や裏切りがありました。この年は丙戌です。年支卯の支合。

◎戊申(1594~1603)
秀吉の家臣として働き、関東に追いやられた形となりますが、その間にも家康は国力を蓄えていました。
運気の変わり目の1つ秀吉の病死。この年は戊戌でした。家康の場合、行運戌がきて卯と支冲したり支合する年は、節目になる事が多いようです。
秀吉亡き後は豊臣政権は前田利家がいても脆弱でした。1600年関ケ原の戦いで勝利し1603年癸卯の年に征夷大将軍となります。ちょうど2023年と同じ干支です。
庚子の年です。庚子は最近でいうと2020年。コロナで世界中を混乱させたと年ですね。庚子の年は動乱の年といえますね。

◎丁未(1604年~1613年)
丁は忌神の壬と干合。壬はライバルとするとライバル豊臣家をおさえると考えられます。この頃にライバルの命式に天干に火行は無いものの、根に多くの火種をもっています。着火するタイミングがくると、甲を一気に燃やしていくのです。そして未は寅と会局して木性を強めます。将軍職を秀忠に譲ります。財帛が強いですから、まだまだ現役、支配力を持ったままです。

◎丙午(1614年~1623年)
この期間も火の勢いが強いです。晩年もその支配力の勢いは続き最後までリーダーでした。家康の命式は喜神の甲が3支通根していて長寿傾向です。しかし前大運、今大運と財帛が強まったこと、実年齢もあり財帛の大運で1616年駿府城で死去されました。

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