2004年に佐世保市で起きた小6同級生殺人事件のノンフィクションの作品です。
被害者父親は毎日新聞佐世保市局長。本書の著者は同職場で働いていた記者です。穏やかに時間の過ぎる佐世保の町で、起きた同級生による殺人事件は同市内だけでなく、日本中を震撼させるほど衝撃を与えたものです。
本書は多くを事件発生とそのあとを被害者側でありつつ、完全被害者ではない川名氏が知りえたこと、感じたことをつづられている。
そして後半からは被害者の父、加害者の父、ラストは被害者兄の話からなる4部構成です。
本作品は被害者家族、加害者家族ともに、出口に見えない苦しみ、また被害者と近い立場でありながら報道する側の葛藤など描かれている。そして少年法の限界。若年であればどれほど凄惨な事件であっても更生を前提にした法で物事は動いていく。
そこには巻き込まれた人間らの心情などは別に、報道や司法が「加害者と親子関係が希薄」であるとか、断片的な情報をかき集め、さも事件の全てを理解しえたかのように、事件を結論付けて世間に発信されているメディア側の問題点も指摘されおり、現在も毎日のように事件は報道されている内容は果たして、どれほどの事実を伝えているのか疑問に思う、また常に疑ってかかり、客観的視線を持ってメディアと付き合うことに必然性を感じた。
タイトルは被害者父親ではなく、兄の言葉。被害者の兄は教師をはじめ大人達が知らなかった、加害者とのトラブルの存在知っていただけに、無力感はどれほどかと思うと言葉にならない。そして現在の教育や問題点を冷静な視線で指摘しています。
父親より冷静にこの事件を兄は捉えている点に驚きました。学力は高いのに、精神的に辛い状況にあり高校にも通えなかったお兄様だそうですが、現在はどうされているのでしょうか気になります。
また驚くは教育委員会のダメさ。その事実を余日に表すのが報告書作成にロクな聞き取りもしないこと、そして加害者の父親に対し、加害者の荷物を取りにくるよう留守番電話だけだったそうです。臭いものにはフタをする無責任体質を感じ、これが現在の教育委員会の姿なのかとがっかりさせられました。当時の教育委員会、学校側も対応の仕方がわからなかったのでしょうが・・
結局は加害者側の心情がどうであったのか?は本書ではわかりませんでした。なお加害者は名前を変えて社会に復帰しているそうです。
人は善悪だけで割り切れない難しさ、そして身近な人間であっても一人の人間を理解するということの難しさを改めて感じます。